
. ショコラは茶色の小型犬だった。近所の動物病院で里親探しをしていたのを引き取ったのだ。引き取ったときには既に成犬だったのだけれど、よく懐いてくれた。当時私は「パティシエになる」と言って家を飛び出して、製菓学校に通いながら一人暮らしをしていた。寂しかったのかもしれない。吠えない犬だと聞いたので幸いなことに大家さんにはあっさり許可をもらえた。こう言っちゃなんだけど、かなりのボロアパートだったから。隠れて猫を飼っていた人もいたようだ。
ショコラとの生活は楽しかった。ご飯にはもちろんドッグフードをあげたのだけど、クッキーやケーキの試作品も二人で仲良く食べた。私が「ちょっと失敗かな」と思うものも、ショコラはとてもおいしそうに食べて「もっと」とでも言うようにちょこんとお座りをして尻尾を振ってみせた。けれども聞いていたとおり本当に鳴かない犬だった。
私が学校を卒業しようかという頃、ショコラは体調を崩した。じっとしていることが多くなり、ドッグフードを食べなくなった。時々、何かに怯えているかのように唸るようなこともあった。けれど私の作るお菓子だけは食べてくれた。動物病院に行くと、もう年だから栄養のあるものを食べさせるよう言われた。私はショコラのために砂糖や塩を減らしたお菓子を作った。犬のためだからなんて手を抜かず、形にこだわりデコレーションにも力を入れた。愛しいショコラのために一生懸命作った。
チョコレートの香りにはリラックス効果があるよ、と聞いたのは友人からだっただろうか。何かに怯えるショコラのため、さっそくチョコレートプディングを作った。どう飾り付けようかと悩んだ末、ビターチョコレートを削って花びらを作った。バラの花にしたのだ。ショコラはとても気に入ってくれたようだ。バラの花をことさらおいしそうに食べた。チョコレートのバラを食べてから、ショコラは怯えたり唸ったりしなくなった。それから毎日、ショコラにあげるお菓子にはチョコレートの花を添えるようにした。
ある夜、イチゴのミルクレープにチョコレートのバラを添えて出した。ショコラはいつものとおりそれをたいらげた。けれど一つだけいつもと違った。吠えたのだ。遠吠えを一つ。そんな小さな体のどこから出したのかと言うような声だった。高く遠く響く声で記憶に鮮やかに刻み付けられた。その後は私に尻尾を振り、いつものショコラに戻った。翌朝私が起きてもショコラはいつものショコラで、朝ご飯のシフォンケーキとチョコレートのバラをたいらげた。いつものように。私が学校に出掛けるときも小さな尻尾を振って見送ってくれた。いつものように。
帰ってくると部屋は静かだった。ショコラは吠えないからいつも静かなのだけど、その日はもっと静かな気がした。違和感の原因にはすぐ気付いた。ショコラの出迎えが無いのだ。靴を脱ぎ散らかし、私はショコラのベッドに駆け寄った。遅かった。ショコラはもう冷たくなっていた。丸まって、まるでただ眠っているだけの様だったけれど、そこに生きものの体温は無かった。手遅れだとは判っていながらショコラを抱えて動物病院に駆け込んだ。「老衰ですね。幸せそうな顔をしていますよ」獣医師は言ったけれど私は納得いかなかった。だって今朝まであんなに。
火葬やら役所やらの手続きまではなんとかできた。本当のところを言うと「まったく現実感が無かった」。手続きが終わってベッドに横たわったショコラを見たとき、不意に涙があふれだした。ほろほろと零れる涙はやがてぼたぼたと落ち、嗚咽を伴い、号泣へと変わった。
一時間ほど泣いただろうか。花を作ろうと思い立った。ショコラが大好きだったチョコレートのバラを。できるだけたくさん。部屋中のチョコレートを花びらの形に削りはじめた。涙だけは止まらない。包丁の刃でチョコレートはゆるくカーブした。大きなボールいっぱいに花びらができた。涙だけは止まらない。
ありったけの竹串の先にバラをつけ、それを束ねて花束にした。レースで包み淡いピンクのリボンで結んだ。ショコラへのブーケ。小さなショコラの体に添えてあげる頃には涙も止まっていた。残ったバラの花はショコラを取り巻くように置いてあげた。まるで眠り姫。どうやったら目を覚ますの? その夜は眠れなかった。ショコラが私の眠気まで全部持って眠ってしまったみたい。百年の眠りを保つには、たくさんの人からたくさんの眠気を吸わなければならないのかもしれない。眠り姫のことをなんとなく思った夜だった。
火葬には立ち会えなかった。ペット火葬屋から「ちゃんと遺骨になってこちらの共同供養墓に祭ってあるので」と連絡を受けていたので、またチョコレートのバラで花束を作ってお墓参りに行った。軽やかに晴れた日曜の午後。チョコレートの花束を抱えて行くと、他の参拝者から怪訝そうな目を向けられた。そんなものどこにも売ってやしないし、まさか自分で作ったとは思わないのだろう。甘い香りを振り撒いて私はお墓に向かった。
チョコレートが犬にとって覚醒剤のような作用をもたらす毒であると耳にしたのはずっと後のこと。ショコラの写真には今でもチョコレートのバラを供え、写真のショコラは今でも私に微笑んでくれている。大丈夫、ショコラは幸せだったはず。バラを作った余りのチョコレートを齧る。それは甘くて、ほんのり苦い。
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う"ぅ"無知って恐い(TmT)
○紅月さんこんばんは。
ほわほわした絵なのに悲しいお話でゴメンナサイ。ほわほわしたのをですね、書きたかったのですよ、一応は。
でも書き出したら…てへ。
○佐賀県人さんこんばんは。
お読みいただき、センキュッ!
ほのぼのしてましたか。ふうむ。淡々と描くことを目標にしてみたんですよ。
>いいお話を聞かせてくださいね。
うっ……がんばります。